手放すのは少し寂しい。でも、価値ある誰かへ――ライカ買取のご案内【コレクター向け Leica買取実績と買取価格の相場の目安について Leitz】|フィルムカメラ買取ドットコム

- なぜライカは“伝説”と呼ばれるのか? 写真史を変えたカメラの真価を紐解く
- Leicaの歴史顕微鏡
―メーカーから始まった、写真界の革命児 ― - ― 革命の序章、ライカIとライカIIの真価とは ―
- Leicaの最高傑作 M3の誕生
- ライカのレンズ― 描写に宿る詩情、ライカレンズの“名玉”たちとその世界 ―
- ■ なぜライカのレンズは特別なのか?
- ■ Elmar(エルマー)50mm f/3.5:全ての原点となった“神話的標準”
- ■ Summar(ズマール)50mm f/2:ライカ初の大口径レンズの挑戦
- ■ Summitar(ズミタール)50mm f/2:光学の完成度を一段引き上げた名設計
- ■ Summicron(ズミクロン)50mm f/2:ライカ標準レンズの“完成形”
- ■ Summilux(ズミルックス)50mm f/1.4:開放に宿る“詩のような光”
- ■ Noctilux(ノクチルックス)50mm f/1.0/f/0.95:極限を写す“光の彫刻刀”
- ■ 画角の広がりとライカの“レンズ思想”
- ■ 写真家とともに生きる道具として
- Leicaのカメラおよびレンズの買取相場について
- まとめ
なぜライカは“伝説”と呼ばれるのか? 写真史を変えたカメラの真価を紐解く


今日はついにライカのカメラについて解説していくよ

つ、ついにですか!店長!!ライカといったらカメラ愛好家にとっては垂涎のメーカーですよね。憧れるけど僕には眩しすぎるカメラです

そうだね。ライカのカメラで家が建つなんて言われた時代もあったくらい高級カメラの代名詞とも言えるライカのカメラだけど、歴史もさることながら、ライカはこれまですごいたくさんの種類カメラが製造してきたんだよ。今日は一気に解説していくね。
ドイツ生まれの精密機械、Leica(ライカ)は、ただのカメラではありません。100年を超える歴史のなかで、数え切れないほどの写真家と共に世界を切り取り、記録し、感情を写してきました。その設計は、芸術のように緻密で、シャッター音は一枚の写真を“儀式”に変えると言っても過言ではないでしょう。
そんなライカを、あなたは今、手放そうとしている。その決断は、簡単なものではないはずです。だからこそ、もし売るのなら「価値を知る人に、きちんと査定してほしい」と思うのは当然のことだと思います。
買取価格はもちろん大切。でもそれ以上に、“このカメラがどれだけ特別な存在だったか”を理解してくれる相手に任せたい――そう願うのではないでしょうか。
本記事では、ライカの市場価値、人気モデル、査定で重視されるポイントから、高額買取のための具体的なコツまでを丁寧にご紹介。
あなたの大切なライカにとって、最も納得できる手放し方を一緒に考えていきましょう。
ライカ関連の買取価格が知りたい場合はこちらへ。
Leicaの歴史顕微鏡
―メーカーから始まった、写真界の革命児 ―
◆ 精密光学の原点:カール・ケルナーとライツの創業
ライカの歴史を語るには、1869年よりさらに時を遡る必要があります。全ての始まりは1849年、ドイツ・ウェッツラーの地にて、カール・ケルナー(Carl Kellner)が設立した光学研究所です。ケルナーは高品質な顕微鏡の開発を志し、後にその志を受け継いだエルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I)が1869年、会社を正式に「エルンスト・ライツ光学機器製造所(Ernst Leitz Optische Werke)」として再出発させました。
このライツ社こそが、後のライカカメラの母体となります。もともとは医療用や学術用の顕微鏡に特化していたこの会社が、20世紀に入り「写真」という新たな表現分野に進出していくのは、偶然のようで必然でもありました。

やっぱりすごい歴史のあるブランドなんですね…、歴史に重厚感を感じます。
◆ 革新の精神:“ユーザーと共に、ユーザーのために”
エルンスト・ライツ1世の理念「Mit dem Benutzer, für den Benutzer(ユーザーと共に、ユーザーのために)」は、現在のライカにも継承されている企業哲学です。この言葉は単なるスローガンではなく、顧客の声を製品開発に積極的に取り入れるという、いわば“共創型のモノづくり”を指していました。
この精神は、後にカメラ事業において革新的な成果を生むことになります。その代表例が、オスカー・バルナックの登場です。
◆ オスカー・バルナックという天才技術者の存在

オスカー・バルナック(Oskar Barnack 、1879年11月1日 – 1936年1月16日)
バルナック(Oskar Barnack)は、1879年生まれのドイツ人技術者。ライツ社の研究開発部門の責任者として在籍していました。彼は重度の喘息持ちで、大型のカメラを持ち運んでの風景撮影に大きな苦痛を感じていました。そんな自身の体験を出発点に、「もっと小型で、なおかつ高画質なカメラが必要だ」と強く考えるようになり、1913年には世界初の小型35mmフィルムカメラ「ウル・ライカ(Ur-Leica)」を設計します。
▷ ウル・ライカの革新性とは?

ウル・ライカの最大の革新は、映画用の35mmフィルム(当時はシネマ用)を横送りで使用した点です。これにより、24×36mmという新しい画面サイズ(現在の35mm判)が誕生しました。このフォーマットは、今なおデジタルカメラでも「フルフレーム」と呼ばれる規格として引き継がれています。
また、オスカー・バルナックの目的はあくまで「テスト機材の簡略化」でした。もともとは映画用レンズの描写テストのための簡易カメラとして設計されたにもかかわらず、その画質と機動力のバランスが驚異的であったため、上層部の目に留まり、本格的な製品化へと進んだのです。

ちなみにウル・ライカはいくつかあって、そのうちの1台は、東京・半蔵門の日本カメラ博物館にも収蔵されているよ。
◆ エルンスト・ライツ2世と製品化への決断
第一次世界大戦やその後の不況の影響もあり、バルナックのアイデアはしばらく眠ることになります。しかし、1920年代に入ると再び陽の目を見ることになります。エルンスト・ライツ1世の後を継いだエルンスト・ライツ2世は、バルナックの試作機を高く評価し、製品化の英断を下しました。
そして1925年、ドイツ・ライプツィヒで開催された春季見本市にて、正式に「Leica I(ライカ・ワン)」が発表されました。名前の由来は、Leitz社とCameraを組み合わせた造語であり、「ライカ(Leica)」ブランドの誕生を意味するものでした。
このライカIの登場は、世界初の成功した35mmフィルムカメラとして、写真のあり方を根本から変える一大事件となったのです。
◆ 写真表現の民主化と“旅するカメラ”
従来の中判・大判カメラは、重く、三脚が必須で、操作も複雑でした。これに対しライカIは、ポケットに入るほどのサイズで、手持ち撮影が可能。移動しながらのスナップ撮影を可能にし、「報道写真」「ストリートスナップ」「旅行記録」といった、動的な写真ジャンルを開花させました。
この小さなカメラはやがて、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・キャパ、セバスチャン・サルガドといった世界的写真家たちの“主戦場”となり、「歴史の目撃者」として数々の瞬間を記録していくのです。

今の手軽に持ち運べるカメラの形まで小型化させたのが、バルナックがいたLeica(ライカ)だったんですね。
― 革命の序章、ライカIとライカIIの真価とは ―
■ すべては“写真の民主化”から始まった──ライカIという原点
1925年、ドイツ・ライプツィヒで開催された春季見本市にて、世界初の35mmスチルカメラとして発表されたのが「ライカI(Leica I)」でした。
それまでの写真撮影といえば、木製の大きな箱型カメラに三脚、重いレンズ、1枚撮るのに複数人がかりの作業が必要というものでした。
そんな時代に、片手で持てる小型のカメラで、映画用の35mmフィルムを使って高画質な写真が撮れるという事実は、写真界に大きな衝撃をもたらしました。
ライカIは、オスカー・バルナックが構想した「小型軽量で、なおかつ画質を妥協しない」という理想を体現した最初の量産機でした。
もともとは映画用レンズのテスト機材として開発された試作機「ウル・ライカ」が原型ですが、これを本格的な市販モデルとして昇華させたのがこのライカIです。

レンズには、マックス・ベレックが設計した「Elmax 50mm f/3.5」が搭載され、後に「Elmar」と名を変えてライカの象徴的存在となります。
撮影フォーマットは24×36mm――これは、今も高級デジタル一眼で“フルサイズセンサー”と呼ばれているサイズであり、このときライカが作り出した規格が100年近く経った今でも世界標準として受け継がれているのです。
また、巻き上げはノブ式、シャッター速度は1/20~1/500秒。ファインダーは単なる視野確認用のものでしたが、それでも「手のひらサイズの高性能カメラ」という概念を世に送り出した意味は極めて大きく、ライカIは、写真を“特別な人だけのもの”から“誰もが撮れる日常の道具”へと変えた、まさに革命の始まりでした。
■ レンズ交換とシステムカメラの誕生──進化したライカI(改良型)
ライカIは初期にはレンズ固定式でしたが、1930年には大きな進化を遂げます。
それが「ライカI(スクリューマウント仕様)」です。この改良型では、レンズ交換が可能となり、39mm径・ピッチ1mmのスクリューマウント(通称LTM)が導入されました。
これにより、ライカは“1台のカメラに複数のレンズを取り付けて用途を広げられる”という、現代では当たり前のシステムカメラの原型を確立したのです。
交換レンズとしては、標準50mmに加え、35mmの広角レンズや、90mm・135mmといった望遠系も開発され、ユーザーは撮影目的に応じて自由に機材を組み合わせられるようになりました。
このLTMマウントは、後にキヤノンやニッカといった日本メーカーも採用するほど汎用性が高く、35mmカメラ界におけるデファクトスタンダードとして広く普及しました。
■ ピント合わせを“視覚化”した初のカメラ──ライカII(1932年)

1932年、ライカはさらなる進化を遂げます。それが「ライカII」です。
このカメラの最大の特徴は、本体に距離計(レンジファインダー)を内蔵し、かつレンズと連動させた点にあります。
これにより、カメラ上部のダイヤルを回すことで距離計が作動し、正確なピント合わせが可能となりました。
それまでのスチルカメラでは目測か外付け距離計によるピント調整が一般的で、フォーカスの精度には限界がありました。しかし、ライカIIはそれを根本から解決。
特に絞り開放時の浅い被写界深度での撮影でも、シャープで的確なピント合わせができるという利点は、プロの現場でも非常に重宝されました。
また、ライカIIのもう一つの重要な功績は、レンズとカメラ本体のフランジバック(レンズ後端からフィルム面までの距離)を28.8mmに統一し、マウント規格として確立させたことにあります。
この精密な寸法管理により、レンズ交換時の光軸ズレやピントの不整合が起きにくくなり、以後のレンズ互換性にも大きく貢献しました。
こうしてライカIIは、単なる小型高性能カメラから、プロフェッショナルの“表現の道具”としての評価を確立。
報道写真、スナップ、ポートレートなど、あらゆる分野でその存在感を増していきます。

このLeica II辺りから、市場に出回るようになってきて、僕らも買取させていただく機会が多くなっているよ。相場はこのくらいかな。
Leica DIIの買取相場
Leica DII クローム 15,000-30,000円
Leica DII ブラック 15,000-30,000円
※ボディのみ動作に問題がないコンディションでの買取価格です
■ 技術が写真の表現を拡張した──ライカIII(1933年)

ライカIIで距離計連動という革新を達成した後、ライツ社はさらなる機能強化を試みます。その結実が、1933年に発表された「ライカIII」です。
このモデルの最大の進化は、低速シャッターの実装にあります。従来のモデルでは最長で1/20秒程度だったシャッター速度が、1秒まで拡張され、しかも独立したダイヤルで設定可能となりました。これにより、暗所や夜景、室内といった光の乏しい環境下でも表現の選択肢が広がることとなり、写真が単なる記録から“表現手段”へと昇華する重要な一歩となったのです。
ライカIIIではさらに、距離計の倍率が強化され、ファインダーでのピント合わせがより精密かつ確実になっています。距離計窓とファインダー窓が別々であるという物理的な制約はありながらも、使いこなせば極めて正確なフォーカシングが可能でした。
このモデルから、ライカは“職人の道具”としての性格を色濃くしていきます。撮影の手応え、巻き上げノブの感触、シャッター音の静粛性──すべてが、カメラを操るという行為そのものに美学を与えるものだったのです。
■ 表現領域の拡大──ライカIIIaと1/1000秒の世界

1935年に登場したライカIIIaでは、シャッター速度がさらに拡張され、ついに1/1000秒が可能になります。
これは、明るい日中の開放F値撮影、動きの速い被写体の瞬間的な切り取りなど、それまでにない“写真の瞬発力”を写真家に与えました。
ライカIIIaは、速度と静けさを両立させたモデルとして、報道、スポーツ、舞台などあらゆる分野で活躍します。長秒から超高速までカバーするこのモデルこそ、ライカを「万能機」として知らしめた決定打でした。
■ 機能美の極致へと至る進化
ライカIIIシリーズは、その後も「IIIb」「IIIf」「IIIg」と改良が続き、細部の完成度が一層高められていきます。特にIIIfではフラッシュシンクロ端子が標準装備され、スタジオ撮影や商業用途でもライカが本格的に採用されるようになりました。
この時期のライカは、単なる技術革新ではなく、「手にする喜び」「使う愉しさ」までもが製品価値として評価されるようになります。ネジのひとつ、巻き上げノブのトルク感、シャッターの静音性──どれを取っても、工業製品というよりは“工芸品”の域に達していたのです。
Leica III系の買取実績
Leica IIIa 15,000-30,000円
Leica IIIb 15,000-30,000円
Leica IIIf(セルフなし) 15,000-30,000円
Leica IIIf(セルフ付) 20,000-35,000円
Leica IIIg 30,000-50,000円
そしていよいよ、1954年。次のステージへの跳躍となるモデルが登場します。
それが、“ライカの頂点”とも言われる名機「ライカM3」です。
Leicaの最高傑作 M3の誕生
1954年、それまでのスクリューマウント(LTM)方式に幕を引き、ライカは新たな時代の扉を開きます。
その象徴こそが、ライカM3。

このカメラが世界にもたらしたインパクトは、単なるマウント変更にとどまりませんでした。
それは「カメラはここまで進化できる」という、ひとつの完成形を提示した道具だったのです。
まず、M3から採用された「Mマウント(バヨネット式)」は、レンズ交換の手順を劇的に効率化しました。スクリュー式のように何回も回して着脱する必要がなく、約90度ひねるだけで装着・取り外しが可能に。これによって、現場での迅速なレンズ交換が実現し、報道・戦場・舞台など“時間との戦い”である写真の現場で、極めて高い評価を得ることになります。
さらに、M3ではファインダーと距離計が一体化されました。
これまでのバルナック型ライカでは、構図用のファインダーと距離計が別々で、ピント合わせとフレーミングのために二度見する必要がありました。M3では、これをひとつの窓に統合し、しかもファインダー倍率を驚異の0.91倍に設定。
この高倍率ファインダーによって、視界が広く、明るく、自然な見え方になり、ピント合わせと構図決定を直感的に同時に行えるようになったのです。
■ 視差補正とブライトフレームという革新

ライカM3のファインダーには、当時としては極めて先進的な2つの仕組みが組み込まれていました。
ひとつは視差自動補正。これは、被写体との距離に応じて、ファインダー内の視野枠(ブライトフレーム)が微妙に位置を変えることで、ファインダー像と実際の写りのズレ=パララックスを解消する機構です。
もうひとつがブライトフレーム。これは、装着されているレンズの焦点距離に応じて、自動的にファインダー内に白線のフレームが浮かび上がる仕組みで、M3では50mm、90mm、135mmの3つの焦点距離に対応していました。
このフレームは極めて明瞭で、他社のレンジファインダーカメラに見られた“暗く、見づらい”ファインダーとは一線を画す完成度を誇ります。ライカが「見えの良さ」に徹底的にこだわっていたことが、このM3から明らかに感じ取れるのです。
■ 操作性に宿る“職人道具”としての本質

M3で大きく変わったのは、操作系にも表れています。
それまでノブ式だったフィルム巻き上げが、レバー式に刷新されました。これにより、撮影リズムは格段にスムーズになり、右手の親指だけで素早く次のシャッターに備えることが可能になります。
また、フィルム装填も従来の「底蓋開閉式」に加え、ベースプレートを外すことで直感的にフィルムを差し込める構造となり、現場での誤装填やトラブルが減少しました。プロの現場では、ほんのわずかな時間のロスや操作の煩雑さが致命的なミスにつながることもあります。
M3は、まさにその“現場目線”で改良を重ねた道具なのです。
シャッター音は非常に静かで滑らか、しかも機械式とは思えない安定感があります。これはライカ独特の布幕横走りシャッターがもたらすもので、当時のライバル機とは一線を画す“工業精度の高さ”を体現していました。
■ M3が愛された理由――写真家たちとの邂逅

ライカM3は、多くの伝説的写真家に愛用されました。
とりわけ有名なのが、アンリ・カルティエ=ブレッソンです。彼は、スナップ写真や決定的瞬間を捉えるためにM3を常用し、ファインダーを覗きながら静かに、しかし鋭く世界を切り取っていきました。
また、ロバート・キャパもM型ライカのユーザーであり、戦場に赴く際にも信頼の道具としてこのカメラを持参しています。M3は“世界の現場”で、その信頼性・頑丈さ・描写力を証明していったのです。
彼らがM3を通して記録したイメージの数々――政治家の素顔、都市の表情、戦火の現場、愛の瞬間――それらがライカというブランドに伝説のオーラを加え、後年の写真家や愛好家たちにとっての“憧れ”となっていきました。
■ 長く使える“究極のメカニズム”

M3は1954年から1966年まで、12年間にわたり製造され、累計約22万台が生産されました。
これは高級機としては異例の長寿命モデルであり、さらに驚くべきことに、現代でも実用として現役で使用している写真家が数多く存在するという事実があります。
完全機械式であるため、電子部品の劣化などに左右されず、オーバーホールや調整を施せば、半世紀以上前の個体であっても新品同様の性能を取り戻すことが可能なのです。
まさに、ライカM3は“機械としての完成度”が桁違いであることを証明する、生ける遺産のような存在なのです。
Leica M3の買取実績
Leica M3 SS(シングルストローク)100,000-130,000円
Leica M3 DS(ダブルストローク)100,000-130,000円
■ M3の次に求められた“広角性”──ライカM2(1957年)

M3のファインダー倍率0.91倍は、望遠系には理想的でしたが、35mmレンズの使用時にはやや視野が狭く、外付けファインダーを必要とする場合もありました。
この課題を解決するために1957年に登場したのが「ライカM2」です。
M2ではファインダー倍率を0.72倍に変更。35mm、50mm、90mmの3種類のフレームラインを備え、広角レンズの使用に対応しました。スナップ写真やルポルタージュ、街の空気を切り取るための**“引きの画角”**に対して、ファインダーからの違和感がなくなったのです。
また、M2はM3よりも簡素な設計でコストも抑えられ、より多くのユーザーにM型ライカの魅力が届くきっかけともなりました。その実直で飾らない設計から、**“もっとも無駄のないM型”**として、現在でも多くのファンがいます。
Leica M2の買取実績
Leica M2 100,000-130,000円
■ 操作性の頂点──ライカM4(1967年)

M2の実用性を踏まえつつ、さらに現場主義に基づいた改善を施したのが、1967年登場の「ライカM4」です。
このモデルでは、フィルム装填が従来よりもスムーズになり、ライカが特許を取得した「クイックローディング」機構を採用。スプールにフィルム先端を差し込むだけで、より確実に巻き上げができるようになりました。
また、巻き戻しノブは従来の縦回しから、傾斜のついたクランク式へと改良され、操作のスピードと快適さが大きく向上。プロの過酷な撮影現場において、時間や動作のわずかなムダさえも削減するために、人間工学に基づいた設計思想が強く打ち出されています。
ファインダー内のフレームは35mm、50mm、90mm、135mmの4つに対応。実際の撮影距離やレンズに応じて瞬時に切り替わるこの設計は、撮影のスピード感と自由度を格段に高めました。
M4は、M型ライカの完成度をさらに一段高めた“名設計”として、現代の写真家の間でもいまだに高く評価されています。
Leica M4の買取実績
Leica M4 100,000-130,000円
■ 表現の幅をさらに広げた──ライカM6(1984年)

時は流れ、1980年代。カメラ業界は電子化の波に飲まれ始めていました。露出計内蔵、AF、AEなど、機能を自動化する流れの中で、ライカはある決断をします。
「手動操作の本質はそのままに、必要最小限の電子化を施す」――それが、ライカM6の思想でした。
1984年に登場したM6は、M4とほぼ同じボディ設計を踏襲しつつ、ファインダー内にLED表示のTTL露出計を搭載。
撮影時の露出の過不足を±で示すことで、絞りとシャッタースピードの調整がより直感的かつ効率的になりました。
ただし、この露出計はあくまで“補助”であり、シャッターは完全な機械式。バッテリーが切れてもシャッターは切れるという、機械式カメラとしての矜持を守った仕様は、多くのファンから拍手をもって迎えられました。
M6は「初めてのライカ」として最も人気が高く、2022年には“クラシックなデザインそのままに中身を改良した復刻モデル”が正式に再発売され、世界的な話題を呼びました。
Leica M6の買取実績
Leica M6 150,000-200,000円
Leica M6 TTL 170,000-220,000円
■ 静かなる復古──ライカMP(2003年〜)とM-A(2014年〜)
2003年、ライカはM6の設計を基に、さらなる耐久性とメンテナンス性を高めた**「MP(Mechanical Perfection)」を発売しました。これは、かつて1956年にごく少数のみ製造された報道向けM型と同じ名称を冠し、“機械の完成形”**としての理想を追求したモデルです。
現行MPは、フレア対策を強化した高品質ファインダー、真鍮トップカバー、各部の剛性向上などが施され、現代におけるプロ仕様のM型としての地位を築いています。
一方、2014年には“電子機能すら排した完全機械式ライカ”として**「ライカM-A」**が登場。露出計すら搭載せず、シャッター、絞り、巻き上げ、巻き戻しという原始的な操作だけで完結するこのカメラは、写真を撮ることそのものの意味を問い直すための道具として、感度の高い写真家たちに愛されています。
■ 機械式レンジファインダーの“最後の聖域”として
2020年代の今、世界はスマートフォンとミラーレス機に覆われ、写真は便利で誰にでも届くものになりました。
しかし、その一方で、「撮る行為のすべてを自分で引き受ける」ことに価値を見出す写真家が確実に存在し、彼らは今もM型ライカに帰ってきます。
機械式であるがゆえに手がかかる。だが、その手間こそが撮影者と被写体との距離を縮め、自分の視点とリズムに寄り添う一枚を生み出すのです。
ライカM型カメラの真の価値とは、スペックでは測れない、“道具と人間の関係性”そのものにあるのかもしれません。
ライカのレンズ― 描写に宿る詩情、ライカレンズの“名玉”たちとその世界 ―
■ なぜライカのレンズは特別なのか?

ライカのレンズが世界中の写真家に愛され続けている理由を、単なる“解像度”や“ボケの美しさ”といったスペックだけで語ることはできません。
それは、ライカのレンズが「光を写す道具」であると同時に、「写真家の視点を定着させるための繊細な媒介」として、極めて感性に寄り添う存在だからです。
描写はクリアだが決して冷たくない。
周辺の緩やかな落ち方に、わずかな“揺らぎ”が感じられる。
開放では夢のような柔らかさを湛え、絞れば引き締まった緊張感が立ち上がる――
ライカのレンズには、**“レンズそのものが語りかけてくるような描写”**が宿っており、それは単なる画像ではなく、「詩的な視覚体験」を作り出す道具であるとも言えます。
では、実際にどのような名レンズが誕生し、どんな描写で時代を彩ってきたのか。
今回は、バルナック時代からM型黎明期にかけての代表的なライカレンズたちをひとつずつ紹介していきましょう。
■ Elmar(エルマー)50mm f/3.5:全ての原点となった“神話的標準”

1926年、初代「ライカI」に搭載されていたレンズが、エルマックス 50mm f/3.5(後のElmar)です。このレンズは、現在に至るまでライカを象徴するレンズとして語り継がれています。
エルマーはテッサー型(3群4枚)を基本とした設計で、当時としては非常にシャープな描写とコントラストを両立していました。開放では柔らかさとにじみのある印象、しかし絞ると驚くほど引き締まる――その**“二面性”が写真家に深い表現の余地を与える**として、高く評価されました。
また、沈胴式のコンパクトな構造により、カメラとの一体感が極めて高く、街角のスナップにも風景にも活躍。1930年代のライカ写真のスタンダードを形作った存在です。
現代でもコーティングの有無や製造年代によって描写傾向が微妙に異なり、オールドレンズ愛好家の間では“選ぶ楽しみ”が尽きない一本となっています。
Leica Elmarの買取実績
Leica Elmar 5cm F3.5 12,000-30,000円
Leica Elmar 5cm F2.8 20,000-40,000円
■ Summar(ズマール)50mm f/2:ライカ初の大口径レンズの挑戦

1933年、ライカはf/2という大口径を実現した標準レンズ「ズマール」をリリースします。これは夜間や屋内撮影へのニーズに応えるために開発された、明るさと描写力を両立させた先駆的なレンズでした。
ズマールはダブルガウス型(6群6枚)で設計され、開放付近では光が滲むような柔らかい描写が特徴です。現代的なレンズのようなコントラストの高さはなく、むしろ“フレア”や“ハロ”を積極的に取り入れたような表現が得られます。
そのため、ドリーミーでロマンチックなポートレートや、叙情的な街角スナップに絶妙なトーンを与えてくれます。とくにモノクロでの相性は抜群で、光と影のグラデーションをふんわりと包み込むような質感は、ズマールならでは。
「整った描写」ではないかもしれません。
しかし、ズマールには“癖が個性に昇華した”独特の美しさがあり、まさに**“光を描くレンズ”**なのです。
Leica Summarの買取実績
Leica Summar 12,000-30,000円
■ Summitar(ズミタール)50mm f/2:光学の完成度を一段引き上げた名設計

1940年代に入り、ズマールの後継として開発されたのが「ズミタール」です。
同じf/2のスペックながら、光学性能は大きく進化。よりシャープに、よりコントラスト高く、そしてフレア耐性にも優れたレンズへと生まれ変わりました。
このレンズは、戦中から戦後にかけてのライカの“実用レンズの頂点”とも言える存在で、報道写真家やドキュメンタリストの間で広く使用されました。
ズミタールは、開放ではやや柔らかく、f/4あたりから描写がキリッと締まります。ストリートフォトや旅のスナップなど、リアルな日常を写すレンズとして極めて優秀で、癖が少なく、被写体を真っすぐに捉えてくれます。
そのバランスの良さは、後継のズミクロンにも継承され、“ライカの標準レンズはなぜここまで完成度が高いのか”という命題の答えとしても、このズミタールの存在は無視できません。
Leica Summitarの買取実績
Leica Summitar 12,000-30,000円
■ Summicron(ズミクロン)50mm f/2:ライカ標準レンズの“完成形”

1953年、M3の登場に先立って発表されたズミクロン50mm f/2は、ライカにとって光学技術の象徴とも言える存在です。このレンズは、それまでのズミタールをさらに改良し、解像感・コントラスト・発色のバランスが非常に優れていたことで、プロ・アマ問わず多くの写真家に愛されました。
ズミクロンの魅力は、「正確さと優しさの共存」と言ってもいいでしょう。
開放ではやや柔らかさを残しつつも、ピント面は繊細で、ボケはごく自然に溶けていくように描写されます。
とくにf/2.8~f/5.6付近の画質は絶品で、シャープさの中に温度が宿る描写に惹かれるユーザーは後を絶ちません。
1950年代から現代に至るまで、ズミクロン50mmは数世代にわたって改良され続け、沈胴式、固定鏡筒、最新の非球面モデルなど、いずれも高い評価を受けています。
その完成度の高さゆえに、「最初のライカレンズはズミクロンを」と薦められるほど、ライカ標準レンズの代名詞的な存在となっています。
Leica Summicronの買取実績
Leica Summicron 5cm F2(沈胴) 25,000-40,000円
Leica Summicron 5cm F2(固定) 40,000-70,000円
Leica Summicron 5cm F2(固定) 40,000-70,000円
Leica Summicron 35mm F2 種類がたくさんございますのでご相談ください
■ Summilux(ズミルックス)50mm f/1.4:開放に宿る“詩のような光”

ズミルックスは、ズミクロンよりもさらに一段明るいf/1.4の大口径を誇るレンズで、1959年の登場以来、“描写に詩情を求める”写真家たちに熱烈に支持されてきました。
とくにオールドタイプのズミルックス(第1世代・第2世代)は、開放時において独特のグロー感やハロが出る傾向があり、これが写真に独自の空気感と立体感を与えます。ピント面は繊細でナイフのような切れ味を持ちつつ、背景は柔らかく滲み、主題をふわりと浮かび上がらせる。
まさに「光を操るレンズ」として、ポートレート、夜景、逆光での描写においては、写真的な“情緒”を最大限に引き出す一本です。
最新のズミルックスASPH(非球面)は、開放から解像力が非常に高く、色収差・コマ収差を徹底的に抑えた精密描写を実現。それでも、決して冷たくならないのがライカの凄み。性能と詩情のバランスという、最も難しい領域で頂点に立つレンズと言えるでしょう。
Leica SUMMILUXの買取実績
Leica SUMMILUX M 50mm F1.4 (貴婦人) 100,000-150,000円
そのほかのSUMMILUXにつきましては、種類がたくさんございますのでご相談ください。
■ Noctilux(ノクチルックス)50mm f/1.0/f/0.95:極限を写す“光の彫刻刀”
「世界で最も明るいレンズ」として知られるのがノクチルックスです。
1970年代にf/1.2、f/1.0が登場し、2008年にはついにf/0.95という驚異的なスペックを持つレンズがリリースされました。
ノクチルックスの描写は、“幻想的”という言葉がぴったりです。
開放では被写界深度は紙のように薄く、ピント面は鋭く、そこからとろけるように広がるボケが、まるで主題を浮き彫りにする光の彫刻のよう。夜景や逆光では、にじむ光が**“見たことのない現実”を可視化してくれる**特別な存在です。
描写はややクセがありますが、それが魅力でもあり、ライカの中でも特に強い個性を持つレンズとして、多くの写真家の表現欲を刺激してきました。とくにストリートや都市の夜を撮るフォトグラファーにとっては、**“闇を解像する唯一無二の道具”**として特別な意味を持っています。
■ 画角の広がりとライカの“レンズ思想”

ここまで標準域の名玉を中心に見てきましたが、ライカは35mm、28mm、21mmといった広角レンズでも世界的な評価を受けてきました。
たとえば、Summaron 35mm f/3.5 は小さく軽く、絞るとシャープで、街のスナップに最適。
Super-Angulon 21mm f/4(シュナイダー製)は、極めて歪みが少なく、建築写真の分野で高く評価されました。
ライカは常に、「ただ広く写せば良い」のではなく、周辺までの解像度や収差補正、構図との調和を重視しており、それが現在に至るまで**“性能だけではないレンズ選び”**を支える哲学となっています。
その他のLeicaのレンズの買取実績
Summaron 35mm f/3.5(LまたはMマウント) 30,000-50,000円
Super-Angulon 21mm f/4(LまたはMマウント) 60,000-80,000円
■ 写真家とともに生きる道具として
ライカレンズには、それぞれに物語があります。
戦場で使われ、街を写し、人の顔を見つめ、時代を記録してきたレンズたち。
それは単なるスペック比較では語り切れない、写真家との“共鳴”の記憶で満たされています。
一本のレンズが、その人の視線になり、その人の時間を記録し、その人の人生を語っていく。
だからこそ、ライカのレンズは「選ばれる」のではなく、“育てられる”道具なのかもしれません。
Leicaのカメラおよびレンズの買取相場について
Leicaのカメラ買取実績
Leica DII クローム 15,000-30,000円
Leica DII ブラック 15,000-30,000円
Leica IIIa 15,000-30,000円
Leica IIIb 15,000-30,000円
Leica IIIf(セルフなし) 15,000-30,000円
Leica IIIf(セルフ付) 20,000-35,000円
Leica IIIg 30,000-50,000円
Leica M3 SS(シングルストローク)100,000-130,000円
Leica M3 DS(ダブルストローク)100,000-130,000円
Leica M2 100,000-130,000円
Leica M4 100,000-130,000円
Leica M6 150,000-200,000円
Leica M6 TTL 170,000-220,000円
上記以外のLeicaのカメラの買取も行っております。
また、これらの価格は基本動作に問題がない場合の買取価格でございますが、基本動作に問題がない場合には上記の価格の範囲で買取させていただきます。
Leicaのレンズ買取実績
Leica Elmar 5cm F3.5 12,000-30,000円
Leica Elmar 5cm F2.8 20,000-40,000円
Leica Summar 12,000-30,000円
Leica Summitar 12,000-30,000円
Leica Summicron 5cm F2(沈胴) 25,000-40,000円
Leica Summicron 5cm F2(固定) 40,000-70,000円
Leica Summicron 5cm F2(固定) 40,000-70,000円
Leica Summicron 35mm F2 種類がたくさんございますのでご相談ください
Leica SUMMILUX M 50mm F1.4 (貴婦人) 100,000-150,000円
(上記以外のSUMMILUXにつきましては、種類がたくさんございますのでご相談ください)Summaron 35mm f/3.5(LまたはMマウント) 30,000-50,000円
Super-Angulon 21mm f/4(LまたはMマウント) 60,000-80,000円
上記以外のLeicaのレンズの買取も行っております。
また、これらの価格は基本動作に問題がない場合の買取価格でございますが、基本動作に問題がない場合には上記の価格の範囲で買取させていただきます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回はLeicaについて解説していきました。他店の買取価格の平均値なども算出してみましたが、査定金額というのはお店によって算出方法が異なりますので、あくまで目安程度に留めておいていただければと思います。

何よりも大切にしていたLeicaであれば、大切にしてくれる人に引き継いでいきたいという気持ちになりますね。もちろん査定も頑張らせていただきます!

頑張るのはいいですがあんまり頑張りすぎて、僕のお給料が払えないなんてことにはならないようにしてくださいね!